ソドムの惨劇から10年。
死を免れたロトと二人の娘は密林に囲まれた洞窟の中でひっそり暮らしていた。
二人の姉妹は結婚適齢期。
後ろは密林。
手前は絶壁。
「こんな場所に男なんていやしない!
半人前のまま天に召されるなんて絶対にイヤ!」
女性として生まれたからには、何としても出産をし、我が子を手に抱きたい。
姉妹は最後の手段に出ました。
そう、二人の娘が唯一相手に出来る男性は実の父だけでした…。
ワインをたんと飲ませ、酔いつぶれた所で交代で行為に及ぶ…。
数ヶ月後、二人の娘の大きくなったお腹を見てロトは驚愕します。
「あぁ、天国の母さんになんて言えば…。」
姉妹はそれぞれ男の子を出産し、この二人はモアブ人とアンモン人の祖先になりました。
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はい、この話は悪魔崇拝し、エルサレムへの道を妨害したとされるモアブ人とアンモン人を差別する為に『つくられた』側面が強いそうです。
まぁ悪魔崇拝ってのも、ヤハウェ以外の多神教を勝手に「悪魔」としてるだけで、積極的な差別じゃなくても、ユダヤ教の選民思想は常に差別が伴う気がします。
ここで疑問が生じます。
「姦淫するなかれ」
で同性愛を厳しく罰しながら、近親愛を堂々と記述し、出産した二人の娘を咎めることも、張本人のロトも責められてません。
何故でしょう?
それは「汝、姦淫するなかれ」は、好色の罪ではなく、「姦通の罪」だからです。
ストレートに言うと、「汝、不倫するなかれ」なのです。
他人の夫、他人の妻を奪うことがいけないのです。
よって、選択肢が無い場合の近親愛による出産は許され、子を設けない同性愛は重罪なのです。
その理由は全て、
「民族全体の調和」
が最重要視されるからです。
姦通の罪、つまり不倫で生まれた子供は、相続順序を乱し、民族全体にトラブルの種となるから、不倫はいけないのです。
そもそもタナク(旧約聖書)はバイブル(新約聖書)に比べて性愛に関して開放的です。
キリスト教は教会権力を守る為に、「性の厳格化」を追求したと思います。
ユダヤ教もただの「民族規律」だけで終わる所が、カナンの地で元々カナンで暮らしてた民族の出会いや、エジプト脱出でユダヤ人以外でモーセに同行した者などから徐々に戒律や解釈を穏和にしていきます。

画像は「ロトと娘たち」です