「大卒初任給」
「新卒社会人」
「非正規雇用」
新聞やニュースを見れば当たり前の様に踊る言葉ですが、どこか違和感があります。
そう、働く=企業に雇われる=社会人の図式がテンプレートしてるかなぁって、思います。
働くということは、農業や漁業や自営や伝統工芸や、会社を立ち上げ経営者になることや、芸術や才能(英語で言うタレント)が認められることも働くことです。
しかし、日本社会における、非正規雇用も含め、雇われ人から逸脱することのリスクの高さは何なのでしょうか?
いわゆる「脱サラ」で自営の店を持つことが、ある種のサクセスストーリーになるほど事の難しさを表しています。
「土地」を所有する難しさは、いきなり農業をしたいからと言って出来ない理由の多くを占めていると思います。
絵、音楽、演劇が認められ、それだけの収入で生活出来る人は大衆の「憧れ」である反面「生け贄」であると親しいブロ友さんは表現していました。
若くして引退したプロスポーツ選手が、その後社会人に転向する大変さは言うに容易いでしょう。
いろんな意見がありますが、やはり戦後の日本の教育は「企業戦士」を育てる為の教育だと思います。
農業や自営業を目指すのでは無く、優良企業に就職する為のみに大学は存在し、大学に合格する為に高校、中学が存在するように思います。
ある例が学校の日曜参観と父親参観です。
日曜日=休日という企業人の親だけを対象とした教育の様に思えます。
親が自営業の為に参観に来れず、一般的なサラリーマン家庭に子供が憧れるとは聞いたことがあります。
また、プロレタリアートの観点から見れば、都会の高級マンションに住み、若くして管理職に就くエリートだろうが「土地持たぬ者」には代わりありません。
「国家」として商業や工業に重点を置き、貨幣を強靭にして途上国から食品を輸入した方が利潤を産みやすいのでしょうが……。
メタンハイトレードや、北方領土の潤沢な漁場等、海洋資源豊富な日本は今こそ全体の仕組みを考え直すチャンスかもしれませんね。