主体的学問論 知る喜び | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

私は勉強が好きな生徒でした。
成績は小中は真ん中より少し上、クラスのトップ集団に入ったり入らなかったりを繰り返す程度でした。

一度も塾に通ったことがありません。
宿題をしなかったことはたくさんあります。
英語と数学の成績が悪くて追試を受けたことも何回もありました。
しかし、私は辞書を読み、辞典を読み、漫画とアニメとハリウッド映画を台詞を暗記するほど観て、その中に潜む学術を学び取るのが好きでした。

高校生の頃の「金八先生」で「勉強が好きな子なんていない」とのセリフはショックでした。

おそらく「受験」勉強はやらされてる脱落を許さないチキンレースで、学校は友達との付き合いが楽しいとのことを番組で主張したかったのでしょう。
勿論、私は受験勉強を楽しんだことはありません。
しかし、知識欲や探求心が所有する「善」を放棄して、「悪」と知りながら受験戦争の前線に送り出されることにより、子供全員を被害者扱いするのは如何なものでしょうか?
かつて私はスポーツ観戦の様な気分でクイズ番組を録画再生して、解答に納得するまで暗記しました。
読む本が無いと国語辞典を引いて主に仏教用語を暗記していました。「菩薩」「如来」「羅漢」「輪廻」など…。

高校では理系クラスと文系クラスの間の「文理系クラス」に入り、理系クラスの生徒より数学は負けても理科全般で勝っていました。
三年生の時に理系クラスに移る話もありましたが、そのまま文理系クラス(基本は女子が看護試験を受けるクラスで男子少な目)で大学に合格しました。
「日常」を大切にし、やりたい勉強をやりたい様にやった結果だと思います(中退しましたが)

フィロソフィア=知恵を愛する気持ちを大切にして下さい!
決して成績によって獲得する利権を愛することと混同しないで下さい!
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べジータのギャリック砲は既存の核兵器を上回るか否か?で兄と議論すれば、残念な父は「漫画と現実を混同して」と見下した目をしましたが、創作を架空とするなら、緑色の肌に四足歩行の主人公に共感しない理由を説明して下さいと言いたいですね。
架空の中の現実を見出だすことが、読者の責務ですから。

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タイムパラドックスに関しては三夜連続で議論した経験があります。