第17話 婚約
こうして僕達は婚約した。
もしもコーデリアに秘密を話せる女友達が居れば、
「私にもさっぱりわからないんですのよ。
あの人には私を惹き付ける何かがあるんですけど、それが何かちっともわかりませんの。
愛してるとかの問題ではなく、うまく暮らしてはいけるとは思います。」
と。
ところで、結婚にはまだ意味があるが、婚約ほど滑稽なものはない。
(まぁ、その意味は私の望む意味ではないが)
婚約は純然たる人類の発明であり、婚約を発明した物はその名誉を賞賛されはしない。
結ばれたわけでも、結ばれていないわけでもない。
結婚と恋愛の関連性なんぞは、大学教授と大学に勤務する守衛が所属を意味する同じリボンを身に付けているようなものだ。
しかし、今や私もその「婚約を経験した者」の仲間入りだ。
ハイベア(キルケゴールと同時期のデンマークの作家)が作中のトロップに言わせたように、
「自ら芸術家たることによってこそ、他の芸術家を批判する権利が生じる」
のだから。
婚約者という役柄も、サーカスの芸人の如くではあるまいか?
「婚約を批判する権利」を公に手にした私は、今まで以上に「恋愛」を研究し続けている。
僕は先日、ある男の為に恋文を書いてやった。
恋文の代筆はいつも僕に非常な喜びを与える。
(訳者注 これは当時のキルケゴール青年の数少ない現金収入と考えられる。)
第一に恋愛の場面の中にいきいきと身をおいて、愉快な気分を味わえる。
僕は彼とその想い人との事情を話させ、女性からの手紙を朗読させる。
若い娘の手紙は僕にとって重要な研究課題だ。
「彼女は、上手に書くね。
感覚も情趣も…ある…ね…。
彼女は…今まで…恋したこと…ある…ね。」
と言った風に。
第二に私の行為は善行なのだ。
若い男女の恋愛を僕の手紙で成就させ、僕の功績となる。
一組の幸福の陰に常に一人の犠牲者が居る。
僕が代筆の手紙に小さないたずらを盛り込むからだ。
犠牲者となるのは彼の方か彼の想い人の方かはわからない。
しかし、幸せを手にするのだ。
不幸になるのはせいぜい横恋慕の第三の人だ。
僕は信頼されている。
ラテン語が出来るから。
僕は信頼されている。
常に若い娘を研究しているから。
僕は信頼されている。
信頼してくれた人を一度も期待を裏切ったことがないから。
僕がいたずらを盛り込んでもそれは手数料というものだ。
(次回第一部完結)