第16話 誘惑者の決断
その時が来た。
僕は通りで叔母を見かけたので、家に居ないことを知ったのだ。
エドワードは税関に居る。
と、なるとコーデリアが家に一人で居るのは確実だった。
事実、その通りだった。
彼女は裁縫台で針仕事をしていた。
午前中に僕がこの家を訪ねるのは珍しいので彼女は少し驚いていた。
僕は決心と言う鎧を纏っていたにも関わらず、彼女の姿は僕に深い感銘を与えた。
質素な家庭着を着て、胸には切薔薇をつかけたコーデリアは優艶だった。切薔薇。そう、彼女が薔薇そのものだっだ。
若い娘が夜どこで過ごすのか?
幻想の国である。
そして朝が来れば現世に再び舞い降りるのである。
事実、コーデリアはこの家では幼児のように未完成であり、エドワードと僕と叔母とのねじれた関係から、異邦人の様に居場所を持たぬ者だった。
夜の闇が彼女を遠い幻想に連れ出すのは必然である。
そして、午前中はまだ彼女にその余韻が残る時であった。
僕は自分の情熱を取り去った態度で彼女に接した。
これは重要な行為を、重要でないように見せかけて遂行すりには有効である。
ありきたりの会話を少ししてから、結婚の申し込みを行なった。
退屈な人間の代表は、書物に書かれている様な口調で話す人間である。
しかし、時にはその口調が好都合な場合もある。
つまり、書物とは読み手によって何とでも解釈できる所に意味があり、書物の様な話し方をする人は聞き手にどうとでも解釈できる余地を与えるのだ。
僕は世間一般の真面目くさった態度をしていた。
コーデリアは唖然としていた。
彼女のその様子を説明するのはとても難しい。
一言で言うなら彼女は僕を笑った。
もう一言付けるなら彼女は動揺していた。
軽率な僕は彼女が「はい。」と承諾の返事をすると確信しきっていた。
だが、どれだけ準備しても何の役にも立たないことがこれでわかるだろう。
コーデリアは「はい。」とも「いいえ。」とも言わず、
「叔母さまに、どうぞ…。」
と促したのだ。
この返事は予見の範囲のはずだったのに、「はい。」しか想定してなかった僕は相変わらずの楽天家だ。
思った以上に上手くいった。
僕は成功を収めたのだ!
叔母は同意する。
僕は確信していた。
コーデリアは叔母の勧めに従う。
「はい」か「いいえ」かわからない。
叔母は「はい」と言い彼女も「はい」と言った。
そして物語は幕を開けた。
(続く)