第11話 誘惑者の弁明
僕に釈明が許されるなら、エドワードは十分に社会人として立派な配偶者になれる男である。
そればかりではなく、人柄としても愛すべき性質を持っている。
最も、十代半ばの少女にはそんなことに関心は持たないのだろうが…。
彼が最も光る様に最適な配置をするのが僕の仕事だ。
僕は彼のメイドの如く、また服飾師の様に彼の部屋のクローゼットを引っかき回して、彼を可能な限り飾りたてる。
時にはレンタルの衣装まで用意したほどだ!
こうして僕と二人でコーデリアの家に赴くが、彼はそもそも友人で、同年代で恋敵なのである。
だが僕にはエドワードが弟か息子の様に思えるのである。
コーデリアが「理想のエドワード」を拒むほど、彼女が拒む理由を大きく意識するほど、僕はエドワードを援助し、彼女に彼を推奨するのだ。
エドワードは何が自分に有利かわからない。
だから僕が背中を押すのだ。
男性美や才能、能力技術は武器である。
この武器で若い娘を獲得出来るかもしれない。
だが、それは完全な勝利ではない。
これらの武器で少女は頬を赤らめ、視線を落とすと言う「トキメキ」を与えるまでは持っていけるが、少女の方から
「この人に魅入られてしまいたい。」
と思うほどの不安を与えることは出来ないのだ。
そして少女が抱くこの不安こそ、少女を美しくさせるのだ。
誰でも自分の力量を知っているべきである。
本来は少女を一目見てすぐにアプローチの手段が思い浮かばねばならない。
歴戦の軍人は一撃で致命傷を負わせ、経験豊富な刑事は傷口を一瞥して犯人を突き止めるように。
だが世の中にこれほど組織的な誘惑者がどこに居るだろう?
また、これほどの心理家にどこで遭えるだろう?
たいていの人は誘惑と言えば誘惑して終わりだと思うだろう。
だが大切なのはこの思想の中にあらゆる言葉が含まれているのだ。
(続く)
はい、キルケゴールが敬愛したソクラテスに習い、今回のタイトルを「誘惑者の弁明」とさせていただきました。
私と読者様と、私のキャラクター達で『テッペキ!裁判』をやったとしたら、キルケゴール被告は
「僕はエドワードに悪意は無かった。」
と主張するでしょうね(笑)。
私見では「誘惑」には悪意を承知で受け入れる人間性に対して、厳格なキリスト教に対するアンチテーゼがあったのでは?と思います。
ゲーテに影響され、ニーチェに影響を与えた「人間中心」です