第七話 その男、エドワード
コーデリア(作中でのレギーネの名前)に必要な男性は美男が望ましいが、絵に描いた様な男ではいけない。(今風でいうならイケメンのテンプレ)
健全な男性であっても、自らの熱情に対して器量の小さな男でなくてはいけないのだ。
彼女は愛されるほどに気ぐらいが高くなり、自らに眠る女性らしさを呼び起こすのだ。
しかし、彼女が愛するには退屈な男故に、「恋愛なんてどうせこんなもの」と思うことにより、彼女はますます興味深く育つのだ。
僕に取っての優先事項は、彼女の交友関係の中から相応しい「求愛者」を探すことだ。
だが、これは実に簡単な作業だった。
コーデリアは卸売業のバクスター邸に出入りしている。
僕は願ってもない男に出会えた!
この邸の息子エドワードは彼女に惚れている。
彼は父の事務所で働いている。
身綺麗で、感じもいいし、はにかみ屋だが彼女から見てマイナス材料とはならないだろう。
哀れなエドワードよ!
彼は自分の恋愛をどう始めればよいのかわからないでいる!
彼女が邸に来ると知れば急いで新しい黒い服に着替え、彼女の為にカフスをつけるその姿と来たらほとんど喜劇だ。
そして彼のはにかみ(照れ、恥ずかしいがり)
ときたら信じられないくらいだ。
これが仮面ならばエドワードは僕に取って強敵だ。
はにかみを利用するのは技術を要するが、収穫も大きい。
僕は今まではにかみの仕草で(シャイボーイを演じることで)カワイイお嬢さんを手玉に取ってきた。
若い娘は照れ屋な男を表では批判しながらも裏では好感を持っているのである。
自分に対して照れてくれる男性のおかげで女性は優越感を憶えるからであり、実はこれは男性が女性に贈る袖の下(愛と言う名の賄賂)である。
照れ屋な男は、男であるという意味を失わさせる。
しかし、女性との関係を中性化させるには有効である。
羊と思っていたのが狼と知った時、少女は身体の奥から恥ずかしがるのだ。
実際に若い娘は若い男をあまりに子供扱いする傾向があるのですよ。
そして僕とエドワードが友達になるのに3日とかからなった。
彼はコーデリアの為におめかしをし、送った後には落胆していた。
僕がコーデリアに対しての意見を述べると、彼は彼女に対する気持ちを話してくれた。
僕は言った。
「僕の友情をたのみに安心しておれ」
と。
彼は言った。
「明日、彼女の家を訪ねが、君も来てくれ」続