第三話 展覧会
仕事仲間のアドルフを訪ねたが不在だった。
彼の住む四階まで階段を昇ったというのに!
降りる際に踊り場で聞いた高い声。
「ええ、月曜日1時に展覧会で。」
この声の主にトキメキを憶え無ければ僕のアドルフへの恨みは倍増していただろう。
勿論、声の主は僕に言ったのではない。
恋人が居るのだろう。
忌々しいきは燈火(ともしび)の無い踊り場よ!
暗がりでは彼女の顔が確認出来なかったではないか。
だが僕は期待を胸に1時15分前に展覧会へ向かおう。
いつでも僕は楽天家なのだから。
若いお嬢さんがそんなに急ぐモノではありませんよ!
まだ1時にはなってませんよ。
僕は予定通り1時15分前に会場に着き、緩やかに長椅子に腰掛け、田園風景の絵画を鑑賞していた。
アパートの踊り場で聞いた声の主は彼女に違いない。
ランデブーに心が踊り、気が転倒しているようだね。
切符も見せずに中に入ろうとしたから守衛が引き留めてるではないですか。
逢い引きに夢中になる気持ちはわかりますが、楽しいのは当人達だけで周囲の人間にはそう思われてないものですよ。
貴女ももう少し経験を積めば、場の「作法」がわかるでしょう。
しかし、若いお嬢さんを待たせるとは無作法な奴だ。
おかげで彼女は館内を何度も往復し、もう五回も僕の前を通り過ぎた。
「お嬢さん、家族の方をお探しのようですね。しかし、貴女はこの角を曲がったところにもう一つ部屋があることをご存知ないようだ。
いつも手前で引き返すことをもう五回も繰り返してるからね。
その部屋に行けばお求めの方に会えるでしょう。」
彼女は感謝の意を込めた挨拶を僕にした。
丁重過ぎるほどの僕の態度に相応しい挨拶だ。
動揺してる相手には普段失敗するようなことでも成功する。
魚は揺れる川が一番釣れるように。
着いて行ってもいいが警戒されては意味が無いのだ。
僕は知っている。
角を曲がった部屋には誰も居ないことを。
心を落ち着かせるには一人になることだ。
酷い男だ。
彼女を泣かせるなんて。
彼女の涙は決別を思い知らされた涙だろうか?
ここで僕が彼女に話かけても責めは受けない。
僕には案内と挨拶の貸しがあるのだ。
チッ、無礼者が来てしまったか…!
本当は「僕は望みの場面をモノに出来る男」ということを見せつけても良かったんですよ。
実際に事態は少しの機転で好転するのだから。(了)