
デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールは著書「誘惑者の日記」にて、構想のみに終わった幻の著書について触れています。
タイトルは
「接吻論に寄せて~愛情こまやかなるすべての愛人たちに献ぐ。」
です。
「注目すべきことに、この問題についての著述は一冊も存在しないのである。
これについての文献がない原因は、哲学者たちがこの問題を思索しないことだろうか?
それとも、哲学者がこの問題に精通していないことだろうか?
示唆的な見解なら僕はいつでも披露することができるのだ。
『完全なキス』に必要なのは娘と男であることである。
男同士のキスは味気なく悪い味がある。
次に娘から男のキスよりも、男から娘へのキスの方が一層理念に近づく。
幾年の経過により熱を失った男女関係はなげやりになり、キスはその意義を失う。
既婚者の家庭内接吻がこれで、世の夫婦は『ナプキンの代用の如くキスで口を拭う』
著しく年の離れた者とのキスも大きく理念から離れる。
ある女学校では『仕方なく我慢すること』を『法律顧問官にキスをする』と生徒間の隠語になっているそうです。
ある女教師が法律顧問官の義兄と同居しているが、自分が年配なことを理由に躊躇なく誰にでもキスを迫る、との話を生徒にしたことがきっかけだそうです。
キスは一定の情熱の表現でなくてはならない。
兄と妹のキスは正当なキスではない。
罰金遊びで得たキスも同様、盗まれたキスも同じである。
表現すべき感情がなければ無意味であり、特定の関係にだけこの感情が存在する。
音や接触の仕方、時間が長いか短いかでキスの分類をしようと試みようとも、最も大きな分類は『最初のキスとそれ以外』である。
しかし、これに思いを至す者はほとんどなく、せめて一人くらいは考えてやらねば罪というものだ。」
『誘惑者の日記』より。
はい、私、実存主義哲学者SPA-kは上記文章を全てに同意します。
この文章がこの本と別枠で出版されていたら…世の中変わって世界大戦も起こらなかったかもしれませんね(笑)。
私が出版したくても私自身『キス事情』に精通してませんので(笑)。

彼の哲学が私の作品の源泉になっています。
上の画像のイメージで。