「西洋人はすぐにシェークスピアとゲーテを持ち出して、『東洋文学の中に哲学的な含蓄がない』と批判する。
しかし、これは哲学的な含蓄のある文学が、シェークスピアとゲーテくらいしかないということだ。」
かなり私流にアレンジしてますが、西洋人は日本や東洋の文化、文学、哲学を、自分達の西洋文化がどれだけ浸透しているかで量る傾向があることを、この当時から漱石はちゃんとわかっていました。
また新渡戸稲造は「武士道」で
「シェークスピアは王の悲劇である。
王が道徳を持ち合わせてない故に起こる悲劇である。
しかし、アングロサクソンにいくら王の道徳を訴えても無理なことだ。」
と述べています。
私は第二次世界大戦がシェークスピアvsゲーテの思想戦争に思えてなりません。
英米の勝利により、「物質的な豊かさが正義」
「権力者の道徳の欠如」
「一切の抽象性の排除により、正義の絶対性と仮想敵国の必要性」
が蔓延したように思えて仕方ありません。
ゲーテ

の「ファウスト」
は悪魔と契約し、科学、錬金術に長けたダークヒーローです。
作中に登場する「神」は天使と何ら変わらない人間的な神です(笑)。
第二次世界大戦で私は人間が生まれながらに持ち合わせた
「完全な善でないからこそ人間の素晴らしさ」
が否定され、社会が要求する人間でなければならない。
と思えて仕方ありません。
シェークスピア

の悲劇は「王は王の役職を超越する道徳を持てず、個の人格が役職とその責務により殺された悲劇と思います。
ケント公は立場を越えてリア王に苦言を呈した所に作品の悲しさを感じますが、武士道にすれば当たり前です。
主君の間違いに対して全力で抗議する決心が「腹を決める」=「ハラキリ」=外国人の「切腹」の翻訳間違いです。
決して盲目的な忠義を理想としていません。
戦後私達は、「社会が求める誰か」を永遠に演じて、一人一人がハムレットの様に「~ねばならない」の呪縛に囚われた王ではないかと思います。
受験、就職、結婚。それぞれの中に存在する悪、悪意、悪魔との共存することがゲーテ的道徳観であり、自然な人間の姿と思います。