「イタリア 哲学者」
と検索すれば、「ダ・ヴィンチやガリレイ」がヒットします。
芸術家であり、科学者である彼らは哲学者ではないと思う人が大半でしょう。
勿論、ダ・ヴィンチが哲学史に通じて、哲学書を出版したわけではありません。
ダ・ヴィンチやガリレイは芸術と科学に自らの信念を込めた哲学者であったのです。
コペルニクスを信じて「地動説」を曲げず、宗教裁判に屈することのなかったガリレイ。
絵画の中に「マグダラのマリアはイエスの子供を授かった。」のメッセージを込めたダ・ヴィンチ。
彼らは自らの哲学を自らの人生で体現したと思います。
これにより私は大いなる確信を得ました。
第二次世界大戦の日、独、伊の敗戦は、
「多神教、文学・思想、芸術の敗北。」
そして戦後の日本と世界中に英米が蔓延させたのは
「キリスト教、理数系と科学技術の過大評価、根拠なきポジティブ思考」
と考えます。
「神国・日本」
などと今唱えれれば右寄りに思われるかもしれませんが、
「日本国にだけ唯一神が降臨される。日本国にだけカミカゼが吹く」
なんて考えは、戦後に諸外国からキリスト教的な物の見方で日本の歴史を振り返ったり、軍事政権下での「キリスト教に対するヒステリックなアンチテーゼ」
であり、そこに反省すべきはあるかもしれませんが、反省すべきは大戦末期の歴史教育であり、日本の歴史そのものでは決してありません!
そして日本人は大戦中も世界で最も紳士的で規律正しい兵隊でした。
それは古来日本は
「八百万の神々と共に暮らし続けた国」
だからこそです。
八百万の神は寧ろ、精霊と呼んだ方が良いとのご指摘を受けました。
なるほど、物に宿る魂、物に宿る神々、トイレの神様、安産の神様、ものつづくり、もののけ…。
そこには「服従」によって唯一神による信託統治を任されるシステムではなく、精霊を感じることを日常とし、「神々や妖との共同生活」を実現し、物に対してもへりくだった態度で接したのが古来の日本なのです。
過去ログに何度も書いてますが神社神道は「死後の世界観を持たない宗教」なのです。
全てはこの世で解決する「現世利益」なのです。
「もののけ姫」 「千と千尋の神隠し」は見事に日本人の忘れかけた魂を呼び覚ましてくれます。
次回はシェークスピアとゲーテがもたらした影響について書きたいです。