イギリス経験主義に対して、大陸ヨーロッパの思想は主に
「大陸理性主義」
と呼ばれました。
自らの感性と経験を重視する経験主義者に対して、あくまで頭で考えて万人に共通し、納得できる「絶対」を定義つけようとしました。
経験主義者と理性主義者。考えは違っても、きっかけは教会の絶対的な支配に対するアンチテーゼでした。
「中世暗黒時代」
と呼ばれるほど、魔女狩りや宗教裁判により、そして「お金を払えば罪を許される」という「免罪符」の発行により教会は「神の名の下に」絶対的な権力を握っていました。
そんな時代の中で
「近代哲学の父」
と呼ばれるのがフランスの数学者にして哲学者のルネ・デカルトです。
デカルトは
「我、思う。故に我在り。」
の有名な言葉を遺すとともに、キリスト教の教義から離れた
「論理学による神の証明」
に成功します。
デカルトは
「全ての物を疑おうと思えば、いくらでも疑える。唯一疑えないのは自分が疑っているとのことだ。」
との論法で神を証明したのでした。
全てにおいて「可能、不可能」を「完全、不完全」を当てはめるイエス・ノーゲームを繰り返せば万物において完全、万能の「神」が概念上の存在が残るというものでした。
それは数学上の記号としての∞(無限大)に近いかもしれませんね。
誰も見たことも触れたこともないけど、無限大を概念上当てはめている中での有限が今現在そこにあるってことです。
極端に言えば
「思想上の万能、無限大を暫定的に与えられた立場の者。
完璧や絶対を定義してみて、それにふさわしく、疑える余地の無い者です。」
16世紀に初頭に彼のこの考えは危険そのものでした。
「無神論者」と呼ばれることは「非国民」と呼ばれるくらいの仕打ちを受けたからです。
当時の人間はどこまでも
「人格神」を求めたからです。
しかし、不思議な者で「心を持った神」が、奇跡、救済、審判を能動的に超自然に行うのに
「その姿を描いてはいけない」
と偶像崇拝「だけ」を禁止します。
有限の人間が作り出した何とも人間臭い神を教会関係者は押し付けるくせに偶像崇拝は禁止なのです(笑)。
デカルトの後に生きたスピノザは
「神=自然」
を訴えるのですが、
「人間は神の似姿」
に縛られた人達の批判を受けます。
「神が大自然なら私達に無差別に災害をもたらさない。信者のみが救われるはずだ。」
と主張したのです。明日は多神教についてです。