世界一適当な歴史的意識が戦争を回避するきっかけになったらいいなと思う希望的観測 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

サッカー部の小説を書いてる私が、野球で例を挙げることをお許しください。


野球を全く知らなくて、イチロー選手
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も知らない人が、初めて連れて行かれた野球場で観たイチロー選手が、その日に限って五打数ノーヒットなら、「その人」にとって「イチロー選手」は「全く打てない選手」
になるのです。

「その試合ノーヒット」
は客観的事実であり、未来永劫不変です。

問題は

「イチロー選手は3000本安打の名選手」

という真実は、「その人が探求しない限り」は必ずしも真実ではないということです。

また、その日打てなかった「理由」は、イチロー選手のみが知りうる「真実」です。


この時点で私の独善と言われたら、もう反論出来ません。
が、続けさせていただきます。

結局、戦争に対する見解ってのもこういうことではないかと思います。

一人一人の物語があり、その人しか知らない現実が存在するが、社会と世界は自分に左右されない。
「戦争の最初の犠牲者は真実である」

との言葉があります。

何を求め、何を学び、何を信じるか?

ヤスパースは

「自己の実存に基づかない歴史的意識は単なるロマン主義である。」

と切り捨てています。

大切なのは自分の歴史観を、どれだけ自分の人生に役立たせるか?だと思います。

百歩譲ってお隣の大陸や半島の人が主張してる島に妥当性があったとしても、その人の現実存在が真実を貶めてる限り、正当性はないってことです。

歴史が冒険活劇や世論煽動に左右されない自己を確立することが大切と思います。