「ビュリダンのろば」

の話を紹介します。
ロバの右側と左側に等距離で同じ量の干草を置く。

ロバはどちらの干草を選んでも良いが、完全に同じ条件の為、右も左も選ばず餓死する。
ってことを14世紀には本気でビュリダンさんは唱えたそうです!(しかし、書物は残らず)
賢明な読者様はこの稚拙な話の是非は別として、論点がどこにあるかお分かりでしょう。
そう、「動機」です。
そのロバにはどちらかを選択する動機が不足してたってことです。(現実はもっと複雑な事情が絡みあい、論理学上のお遊戯になってます…。)
またヤスパースは著書の中でヘーゲルも引用しています。
「思惟する理性は、意志として、有限性に向かって決断する、このことである。」
との言葉を引用しています。
つまり、人間は非論理的で、現実の自分と結びつかないことを思い描くことは出来る。
しかし、何を選択し、どのように行動し、どれくらい意欲するか、という現実に則した、限りある自分を知性によって獲得しなさい。
ってことをヘーゲルは言いたいのはわかるけど…。
人間の魅力って突拍子もないことを思い描くこととかも含まれると思うんですけどね…。
ヘーゲル哲学は客観性が行き過ぎて、傍観者のように世の中を「他人事」のように冷徹に割り切るから苦手です(笑)。
どうも彼の全体主義が戦争を引き起こすような…。
私はヤスパースが引用したキルケゴールの言葉
「意志の数だけ自己がある」
の方が好きです。
現実に立脚しないファンタジックな自分も含めて自分だと思います。
思い描く自分は全て自分で、選択しなかった自らの意志は、
「自分が生まなかった自分。
自分が育てなかった自分」
と思いたいです。
そして自らの意志による選択で、「自己」を獲得し続け、
「自己自身」
を生成するものだと思います。
囚人が監獄の中で
「翼があれば」
と思うことは非現実的で、現在の自己に立脚していない思惟でしょう。
労働に精力的になる方がベストでしょう。
しかし、無駄や無意識、無価値ではないと思います。