前回「子供の哲学」
を書いた後に思ったのは、
「じゃあ大人って何?」
です。
二十歳になったら大人?
第二次性徴を経た肉体になれば大人?
我が子を授かれば大人?
う~ん、どれも少しずつ正しくて、少しずつ間違ってると思います。
きっと誰もが何歳になっても「子供な部分」を持ち合わせていると思うし、子供な部分を完全に無くせば即大人ってわけでもないと思う。
同時に「男らしさ」ってのもわからない。
「蛮勇」を振りかざす力と強さでは無いのは確かだ。
何となく「完成された男」「完成された大人」という
「模範的な社会人」
ってだけなら女性にも当てはまる??
過去ログにもありますが、
心理学者の鞭洋子先生は
「男性も母性を持ち合わせている。
女性も父性を持ち合わせている。更にそれぞれ女性性と男性性と幼児性、そして仮面と影を持ち合わた合計七つの人格を持ち合わたのが人間である。」
と述べています。
著作の中で鞭洋子先生は
「母性とは弱き者を無条件で守る強さ、父性とは与えられた役割を責任持って全うする心」
と述べています。
権力の座に就く男達が
「私にも母性がある」
と認めて発言するだけで、世界中の紛争が少し減ると思うのは私だけでしょうか?
責務に耐えうる強さが父性の象徴なら、社会で活躍する女性は父なる強さを持ち合わせているのです。
男性性とは知恵と論理的な思考です。
女性性とは感情です。
幼児性とは独創性、創造力、クリエイティビィティです。
仮面とは他者の評価によって造られた自分です。
影とは自分に抑圧された正反対の性格を持つもう一人の自分です。
誰もがこの七つの人格の強弱で自分の人格を形成しているそうです。
大人ってのが父性と男性性だけを際立てて賞賛してきたのは、専制君主政治と一神教の産物と思います。
ボーボワール的なジェンダー論で言うと、「完成された模範的な人間像」に性別は超越していると思います。
しかし、大の男が女性を「尊敬する」って言い切れるのは凄く希で、仮に尊敬出来てもその人の母性的な部分がかなりのウェイトを占めてて、その女性の男性性や父性的要素を尊敬するのはかなりレアなケースですよね。
だからこそマザーテレサはその強さに母性と父性どちらも持ち合わせてたからこそ、世界中で尊敬されてたと思います。