目的と手段 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

前回の続きです。

まずは
「目的」は「何の為に」

「手段」は「どのようにして」

という命題で話を進めることをお許し願いたい。

これに「移動」という単語を当てはめると

移動手段は徒歩やバスや飛行機です。

移動目的は通勤・通学や遊びや買い物です。

「旅」に当てはめると手段のレパートリーは移動と変わらなくとも、「旅の目的」は「楽しむこと」や「~を見ること」となり、ただ移動することから大きく変化します。

これを「結婚」、「就職」、「受験」に当てはめると途端に適当な言葉が見つからなくなります。

「目的」はそれぞれの志に応じて当てはめることが可能かもしれません。

でもそれらに当てはまる適当な「手段」は?

結婚の手段、就職の手段、受験の手段。

何だか小手先のチープな印象を受けるのは私だけ?

鋭い人はもうわかりましたよね?

そう、上記三つの言葉は本来、「手段」であるべきなのです。

パートナーと添い遂げる為にベストな形を模索した結果、あらゆる生活様式の中で「結婚」という手段を選ぶのです。

やりたいことの為に、生計を立てる為に「就職」し、学びたいから「受験」するはずです。

これらはゴールではないのは明らかです。

「蓄財」なんかも、やりたいことの為に必要な額を貯める方が遥かに有意義ですが、貯金そのものが目的になるどころかゴールになってしまうと人生の意味を失い、意義を見出だせなくなりますよね。


今日の記事はただのつぶやきです。

テレビタックルの話を思い出してたら、ビートたけしが

「ご飯食べに行くのは、一緒に居ることが一次的で、じゃあ腹が減ったから食いに行こうって二次的なもののはずなのに、一緒に食べに行くことが目的になるとおかしくなっちゃうんだよな~。」

って言葉に共感しただけです。

こんな私にもし共感してくださりましたら目的、手段、目標が誤りつつある事例を示してほしいです。