ヤスパースの著書「哲学」より。
「思索の遂行が交わりを促進する程度に応じて、一つの思想は真である。」
つまり1つの哲学が段階的に変化するその時点において真であったとしても、交わりが促進されていく段階に応じて真でなくなる。
ってことです。
「これが哲学だ、道徳だ、真実だ、真理だ!」
とご立派に提示した時点でそれは正しくなくなるのかもしれませんね。
確かにそこに至るまでの道のりは正しかったかもしれないが、1つの思想、哲学、真理が未来永劫に真実ではないということでしょう。
逆に1つの真理を風格させない為に自己を閉じ込め、他者との交わりを断てば、振りかざすその真理は「詭弁」となるでしょう。
またヤスパースは
「哲学することは真理共同体において獲得された客観性を把握すること」
と述べています。
ヤスパースは常々
「真理は複数から成り立つ」
と言っているように、「私と誰かの間で成り立つ共通の事実が真理だ。」
ということです。
即ち自己自身が身につけることが可能な客観性なんてのは相対的であり、自分が交わりにおいて関わった人間同士の間のみで成り立つ真理だってことです。
「客観的事実」なんてものを「普遍的真実」に置き換えようとするから世の中は違う文化同士で戦争が起きるのかもしれませんね。
ヤスパースは
「真理が人と人との交わりのみにあるなら最終的な哲学は存在しない。」
とまで述べています。
それは絶体がないってのと全く違って、それでも人が哲学し、普遍的真理を求めるのはそこに「自分だけの主観」があるからです。
デンマークの哲学者キルケゴールは
「他人が存在することなど知識に過ぎない。」
とまで言っています(笑)。
おそらくその影響を受けたヤスパースは
「人間は私しかいない。私が私自身に関わる者に『人間性』を付加しているのだ。」
と述べています。
読者様は賢明ですから、この言葉の最初だけをとって、
「そうか、私だけが人間なんだ!」
と解釈しないはずです(笑)。
今夜もお付き合いありがとうございました。