ヤスパースは「政治的交際」という言葉を使用してますが、それは利害関係による一致を目的とした、権力、階級を利用した人との結びつきを表します。
政治的交際が生活形式となると(中略)相互関係において価値を有するが、
1 自己自身としての価値は認められない
2 尊敬も愛もない
3 権力と階級の形式のみがある
4 根底に自己軽蔑がある
5 密かに他者への軽蔑が支配する
6 権力、名声、金銭、成果のみに尊敬の念が向かう
以上が政治的交際の6例です。
そしてこの様な表面上の関係を維持する為に
A 表向きは満足している、お互いが抱えた欺瞞の静けさをかき乱されること
B 誰かが真相を語ること
C 事柄、関係を低俗に表現されること
の3例を極端に嫌い、それが破られると激怒するとヤスパースは書いてます。
このような付き合いは空虚であり、他者の空虚さに出会うと「共通の憎悪」によって調和と信頼をいだくが、その信頼は常に邪推と連帯してる。
と述べてます。
最後にヤスパースはこの様な政治的交際の行く先には、卑屈な自己放棄か、過去も未来も、原因と結果も存在しない単なる恥知らずとなる
と述べています。
会社や地域社会において権力と階級から離れた付き合いをすることは極めて難しいと思いますが、自分が自分であるために失ってはいけないモノがあると思います。
労働者の税金を上げることで、消費者の購買が下がり、景気が低迷するってのはまさしく企業の為に個人が無理することが、結局社会全体の停滞になってる気がします。
ヤスパースはナチスが自身の勤め大学の人事にさえ介入したことに失望していましたが、上記の文は彼のそのような思いが込められていると思います。