今日は私の思うがままのことを書くことにより、皆様の意見を聞きたいです。
ソクラテスの様に、私自身に不足していることを補いたいが為に書かせていただきます。
日本人として生まれたからには日本国を当然の様に愛しています。
しかし、「愛国心が無い」イコール「積極的に国を嫌う」では無いということ。
私は自身を「忠国の士」であると思います。
税金で義務教育を受け、読み書きを習い、自分や家族の薬代や入院費も税金が使われている。
それに対して太宰治の言葉を借りるなら
「義侠心」で国に恩返しをしたいと思います。
だからこそ愛国ではなく忠国なのです。
その全てに賛同はしないが、役目を果たしたい思いがあるからです。
愛は無限大です。
故に愛されなくとも、愛故に行動しないことを選択しても国は国民を責めれません。
またその様な人間で国を構成するなら、国民も国を責めれません。
見返りを求めた時点で愛では無くなるから「愛国心」そのものがパラドックスなのです。
しかし、人間は社会と共に生きます。
私が何よりも嫌悪するのは
「私的な意見を公的なものと言う奴です。」
個人的な好き嫌いやワガママを認めた上で、他者に協力を依頼するなら納得しますが、あたかも大衆の総意だと私的な感情に大義名分を後付けする奴は命がけで妨害したくなりますね(笑)。
最後に鬱病から職場復帰して8ヶ月半が経過しましたが、今になって
「ポジティブシンキングの推奨」
が病を加速させたと思えて仕方ないです。
世間ではネガティブの延長が鬱と捉えがちですが、ネガティブをネガティブと認めないから鬱になる気がして仕方ないです。
私の大好きな漫才師の「麒麟」のネタに
「ズボンのチャックを開けて歩いていたら、誰かが上げてくれるのがポジティブと思うなよ!」
ってのがあるんですが、ホントにその通りと思います。
ネガティブって「警戒心」なんです。
だからこそ探検家や登山家は最悪のケースを想定して準備するします。
だけど、世の中のこと全てに過剰に反応して「警報のなりっぱなし」が病気の状態なのね。
そこには警戒心を持つことさえ許さない環境がその人を追い込む様な気がしてなりません。
思うに笑いながら突撃する奴だけを学校や企業が求めているなら戦中より酷いってことですね。
「障害を乗り越えるのがポジティブ。
障害を回避するのがネガティブ。
障害が無いと思うのが無知。
障害を知るのが勉強。」