SFで機械やコンピュータやロボットが
「心を持つ」
ってパターンは数多のメディアで登場しますね。
その時必ず言われるのが
「機械が自我に目覚めた。」
です。
自我って?訳するとエゴですが利己主義ではありません。
「もう一人の自分が客観視する自分」
です。
「感情が芽生えた」
とか抽象的な表現よりも
「コンピュータは自分がコンピュータと知っているか?」
とか
「コンピュータは己の行動、言動を振り返るか?」
と想定した方が理解しやすいでしょう。
手塚治虫先生の「鉄腕アトム」の試作品は、悪者ロボットを倒すヒーローではなく、軍需工場で働く学生達によって造らたという設定だったそうです。
そして機械のアトムから見た視点で人間社会を切るものだったそうです。
人間と上手に付き合っていけないアトムは問いかけます。
「人間はどうして僕をいじめるのですか?」
と。
一人の学生が言います。
「君が何でも出来る完璧なロボットだからさ。
けどね、本当に完璧なロボットなら人間の様に完璧でない存在であるべきだ。」
テレビの特集番組を見た時の私は中学生でしたが、この言葉は衝撃的でした。
人間は不完全だ。だからこそ素晴らしい。
ということを伝えたかったと思います。
「愛」「命」の言葉に依存しなくとも、
こだわり、わがまま、好き嫌い、信念、信仰。そして哲学。
自分が自分である条件は美点ばかりではないということですね。
今日のblogに意味はありません。
ただヤスパースは
「自己との交わりで自我が形成される」
と述べています。
人間が人間である条件は「もう一人の自分が自分を視ている」ことにより、行動、言動、内的行為を客観視することかもしれませんね。