形而上学に始まる哲学を学ぶ時の三つの落とし穴 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

タイトルは(けいじじょうがく)
と読みます。

私のblogから哲学に興味を持ってくれればこれ以上ない幸せです。

そして哲学を求める方が陥る「落とし穴」が
「形而上学」
です。
ソクラテス、プラトンに始まり、哲学は常に「絶対」を求め続けました。

己の理性(知恵)だけを頼りに不偏、普遍を探し、「永遠」を定義しようと、3000年の月日に渡り数多の賢者、勇者が人生を賭けて運命と闘いました。

しかし、人間は完璧ではありません。

「全てを満たす解は無い」
と言うことを十分に頭に入れて哲学を学んで下さい。

名言に心酔し、「絶対」に巡り会えたと思う日もあるでしょう。
しかしながらそれも完璧ではないのです。

そして二つ目の落とし穴は

「哲学史」
です。
哲学を学んでるつもりが、誰かの人生を追いかけるだけで終り、世界史、日本史、伝記小説の焼き増しで終わることです。
共感、共有は必要ですが
「貴方だけの哲学」
をどうか大切にして下さい。
かく言う私もキルケゴールに心酔し、哲学とは関係ない彼の面白エピソードだけを紹介して終りの時もあります(笑)。
しかし、それも哲学(笑)。

そして最後の落とし穴が

「じゃあ哲学って何?」
です。
そう、哲学を学ぶ者は、その貴重な時間を
「哲学とは何か?」
に追われるのです。
どうか貴方の日常に則した哲学を求めて下さい。哲学は歌舞伎や日舞ではありません。
上流階級の戯れであってはないのです。
だから皆様に

「この世は貴方が見たい物を見たい様に見たいだけ見ている世界」
と言うことを念頭に置いて下さい。

「他人の心(頭)の中に入り込むことは出来ない。」
だからこそ知恵、愛、気配り、言葉が必要なのです。

「死は避けられない。
そして全ては生きている私達が見て語っている世界。」

生きている人間が生きていることを語り、
「生の向こう側の死について語ること」は
「魚は海を認識しない。海中で海水を汲むようなもの。」

と言うことを憶えておいて下さい。

「進んできた道が間違っていたとしても、それを全て検証し、歩み直すには人生は短すぎる」
by SPA-k