「より強い交わりを求めるには、より強い孤独を体験しなければならない」
ドイツの哲学者カール・ヤスパースの言葉です。
一人であることが孤独ではありません。
他者との交わりがあり、交わりからの隔たりを感じて一人になるからこそ、孤独を孤独と認識するのです。
恋愛歌に頻出する
「会えない時間が愛を育てる」
とはその通りです。
恋によって二人の時間が楽しくなり、一人の時間が寂しくなる。
しかし、今までは一人で平気だったのに?
誰もが青春時代に体験された想いだでしょう。
これはヤスパースや私に言わせれば、その時味わう孤独は
「次に会う為の自己研鑽であり、内的行為による自己形成」
と思います。
植物が夜に成長する様に、大切な人と過ごした後の一人の時間が、新たな自己を獲得している瞬間と考えます。
またヤスパースは
「私が自分自身である時は、自己自身である他者と交わっている瞬間でしかあり得ない。」
と述べています。
自己を確実に獲得している人間と交わることでしか、自分は自分になれない。という意味です。
これは裏返すと
「自己を獲得していない、または自我を認識していない他者といくら交わっても、貴方は自分になれずに、複数の中にいながらにして孤立化する」
という事態を引き起こします。
目的と手段が本末転倒の学校行事での集団行動や、出会うことにより変革を持たらすはずが、変革を求めるが為に出会いを求める行為を考えれば言うに易しいでしょう…。
それは必ずしも妥協ではありません。
自己を貫き「孤高」のポジションを獲得することも可能です。
しかし、孤高も他者の瞳があってこそ成立します。「孤高である。」といった態度での交わりによって成立するからです。
自分が自分である為に…。
終わらない孤独な闘いは誰もが続けることです。