まずは原文をそのまま
「唯一本来的に存在するものは自己自身である人間である。
(中略)
問うことで自己を語り、自己に答えるように行なうのである。
彼はすべての理由を聞こうとする理性者であり、同時に唯一無二の自己である。
私は彼を無条件に愛する。」
ヤスパース著「哲学」第一部二章「自我自身」より。
うん、私もこうありたいです(笑)。
煩悩の塊の私は、どうも役に立つ反対意見を最後まで聴けない難点があります(笑)。
ヤスパースに愛されるような人間になりたいものです。
そう、人は志すことで絶え間なく自己を形成し続けているのです。
ヤスパースは
「『汝自身を知れ』とは『鏡を見よ』と言う意味ではない!
『なりたい自分になれ』と言う意味だ。」
と述べています。
鏡は光の反射です。
私から放たれた光が鏡に飛び込み、私の姿を私の網膜に届く間、それは「過去の私」かもしれませんね(笑)。
最後にヤスパースはこの第一部二章を
「私は永遠の中に私を創造しない。
私は自分を獲得することによってのみ現象の中において私自身を創造するのだ。」
とまとめてます。
そう、自分が存在するのは現象なのです。
雨や雷やオーロラは発生しては消えます。
しかし、雨が止んでも私達は雨の事を忘れていません。
「雨の存在」は雨が繰り返し降っては止むことで存在理由を獲得し続けているからなのです。
誰か亡くなった方を忘れないのは亡くなった方の働きかけではなく、生きている私達が意味と理由を現在進行形で更新し続けているからです。
それと同じく私が存在することは絶え間ない現象の中において行動、言動、内的行為によって存在理由を獲得し続けているのです。
最後に敬愛するキルケゴールの愛の言葉を。
「結婚とは所有でもなく、所属でもない。
互いの愛を獲得し続けることだ。」
と述べています。
キルケゴールもヤスパースも「今現在」を大切にする実存主義哲学者です。