私が出会える私への道のり | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

ドイツの哲学者カール・ヤスパースは著書「哲学」に於いて、人間は「自分」を認識する過程を4つのパターンに分けて、端的に説明しています。

人はどのようにして「自分」を知るのでしょうか?
そして認識した「自分」はどこまでが「自分」なのでしょうか?

1 身体を認識する。

とても簡単なことです。
自分の肉体を見て、「うん、私の身体だ。」
と思うことです。

当たり前ですよね。
私の指は私の物であり、私の髪は私の物。
自分の肉体を認識することにより、(痛みを感じて生きてる証拠と主張する人もいます。)
自分を知る。最も簡単な「自分との出会い」です。

ヤスパースはまた、
「肉体とは生命である。」

と言うシンプルで力強い言葉を残しています。

私が私の身体を認識するときは、必ず
「生きていて生命活動をしている私の身体」
なのです。

死んだように生きるのは簡単です。
しかし、貴方の肉体は生きている!
だから貴方は自分に出会えるのです。

2 社会に触れる

他者に自分を認めてもらうことで自分自身を知ると言うことです。
赤ちゃんは社会を持ちません。
ミルクを飲むことに遠慮しないし、泣くこと躊躇しないからです。
自らの働きかけが他者に影響を与え、それが自分に返ってくることで己を知る。
ヤスパースが提唱した「包括者」は神とイコールではありません。
世の中の法則そのものだったり、人や人の心や、人間同士の関係性も含めた大きな流れそのものの真理を「包括者」
と言っています。

3 内的行動をとること

簡単に言えば思いを巡らして、心で自分を描き、自分と話すことです。
2が外部からの反射であるのに対して、3は己自身が決める自分です。
これは最早「哲学すること」とも言えるでしょう。
そう、哲学は「自分との出会い」なのです。
だからこそ、他人の中に入って絶体的な答えを「決めてあげること」は出来ないのです。

4 上記1~3の行動を思い起こすこと

つまり過去を振り返ることで自分に出会えることです。
しかし、昨日の自分、去年の自分は
「今現在、振り返っている貴方」
ではありません。

以上がヤスパースが語る自分が出会うことの自分の範囲です。

当然のことを最もらしく書いてます(笑)。

私は指先ではない、私は他人の評価ではない、私が思い描く私が私全てではなく、過去の私は私の一部なのです。

明日は「未来を思う私」を書きたいです。