キルケゴールが語る初恋の正当性 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「人は何回も恋をするが、その度に前の回の妥当性を疑う。
よって結局人は人生で一度しか恋をしないことになり、その『初恋』は永遠に真の恋である。」

キルケゴールの言葉でもかなり好きな言葉です。

つまり、失恋する度に「この恋は真実の恋じゃなかった」
と、都合良く過去の記憶を改ざんして、都合良く嫌な部分を自身の忘却能力に任すことにより、ただ一度の恋は常に「初恋」となり、同時に「真の恋」となる。
と、デンマークの哲学者は述べています。

確かキルケゴールは8才の時に家に遊びに来た親戚の女の子が初恋の相手だったと思います。

厳格な父に育てられ、まともに友人と外で遊ぶことさえ許されなかったセーレン少年にとって、彼女はかけがえのない存在だったと思います。
「永遠の愛」を誓った二人ですが、家族同士が疎遠になり、キルケゴールの初恋は終わりましたが、その思い出は甘く熟成され、永遠に彼の心に刻まれるのでした。

勿論、後に出会うレギーネの前にも彼は恋をしたでしょう。
しかし、彼にとってそれは「真の恋」ではなかったのでしょう。
上手くいかなかったのですから。

かく言う私の場合は幼稚園の時に雪女を好きになったのが初恋です。

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当時の私は人間社会以上に、自身の全てを捧げて雪女と結ばれることに価値がありましたから(笑)。
氷漬けにされて連れ去られたかったのです(笑)!

その後は、中学二年生の時に私に一方的に想いを寄せて来た同級生の女の子でした。
追いかけられてる時は嫌だったのに、離れてから「自分の方が好きなんだ」と言う気持ちを認識したのでした。
勿論、その時は既に遅かったのです。

高校の時は担任の先生が好きだったりありましたが、20才で今の妻に出会うまでは…暗黒の青春時代でしたね(笑)。

あー、毎日ありがとう。感謝してますって言っておきましょう(笑)。

しばらくキルケゴールの恋愛観が続きますが、終戦記念日前後に戦争の話も書きたいですね。