以前の記事で、伝令兵は安全な任務で、上官との付き合いで受勲したとの記事を訂正しなければなりません。
伝令兵は決して安全な任務ではありませんでした。
アドルフを含めて8名の伝令兵は、イギリスの最初の攻撃で3名が即死、1名が重傷となりました。
生還した4名と負傷した1名は受勲しました。
そう、「生き延びた」と言う功績なのです。
アドルフは後に、「絵はがき一枚届ける為に銃弾の中を駆け抜けたこともあった。」
と振り返っています。
また、車両が通行不可能な場所には、自転車と徒歩で伝令の任務を遂行したのでした。
そして、彼が二回目の受勲をする時は…伝令兵が彼一人になった時でした。
そう、これこそアドルフの人生なのです。
ナチス党内では、党員同士の派閥争いで大物が失脚し、政党争いでは共産主義よりもナチスが支持されたのです。
首相になってからは、ヒンデンブルク大統領が急死したからこそ、首相と大統領を兼務した「総統」に就任したのです。
これも故ヒンデンブルク大統領に「配慮して」のことです。
アドルフは気がつけば常に傍らに居たのです。
確かにそこに「存在したこと」、選ぶべき選択肢の中に入り続けたことこそ彼の最大の功績なのです。
優秀なキャリアを持たない私はいつも思います。
「強いもの、優秀なものが勝つのではない。生き延びたものが勝利者だと。」
彼は4人の伝令兵の中で最も任務買って出たそうです。
そして彼は
「他の者は休ませてやって下さい。」
と繰り返したそうです。
そして休暇には絵を描いてたそうです。

画像は
「ヒトラーの水彩画」
に掲載されてた伝令兵時代に描いた一枚です。
明日はナチス党員になる始まりを書きたいです。
初出 20120808