
1937年発行のマルク貨幣に刻まれた言葉です。
いやぁ、これこそドイツ国民の魂、へーゲル哲学でしょ(笑)。
ニーチェの哲学とは違う気がします。
第一次世界大戦の敗北による多額の賠償金、1929年の世界恐慌、1931年の金融恐慌と、当時のドイツは危機的状況でした。
失業者問題はドイツを苦しめていました。
そんな時に状況を打破すべく、時の首相は
「ドイツ・オーストリア関税同盟」
が結びます。
しかし、これに反発したのがフランスを初めとする連合国です。
「オーストリアとの合邦はベルサイユ条約に反する」
として、フランスはオーストリアに制裁決議として
「オーストリアの資本を引き揚げる」
措置を取りました。
これにより、オーストリア一番の銀行は破綻します。
そしてドイツ国内には600万とも700万とも言われる失業者が溢れ返ります。
共産党を極度に恐れる時の資本家達は、政府に連名で
「アドルフ・ヒトラーを首相にするように」
との密書を送ります。
1933年に労働者と資本家両方からの支持を得てヒトラー内閣は発進します。
ヒトラーは「労働奉仕」として、
「現物支給」と「短期間労働」で雇用対策に打って出ました。
また、大卒後の一年間を
「農業奉仕」
として農地での労働を命じました。
その他にも、
「結婚奨励金」や「家事手伝いの奨励」
として女性を家庭に入れ、男性に扶養家族を増やすことで内需拡大を目指しました。
また、徴兵制度により、84万人の兵士を動員し、雇用を生み出しました。
これによりたった4年でドイツ国民の完全雇用を達成したのです!
勿論、分野の偏りや、昇給の問題もありました。
しかし、戦後19年、大恐慌から4年の奇跡です。
「公益は私益勝る」
の精神でドイツ国民が望んだ証です。
確かにアドルフは言論統制をして、数々の新聞社を潰しました。
しかし、潰した会社の記者を沢山、ナチスの党員記者として雇いました。
アドルフは新進の前衛芸術を嫌いましたが、ナチスは「芸術苦学生」に「奨学金」を惜しみませんでした。
ナチス経済委員長のフェーダーは
「利子奴隷からの脱却」
を訴えていました。
大戦は連合国の勝利で終了しました。
しかし、当時の「科学、経済、キリスト教の時限爆弾」は確実に作動してると思うのは私だけでしょうか?終