再掲載:彼に抱いた偶像、彼が抱いた虚像 5 五輪 20120721 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

アドルフ・ヒトラーには大きな功績が二つ。
ベルリンオリンピックの成功とドイツ国内の失業対策です。

1936年のベルリンオリンピックは、それまで都市主導のオリンピックを、積極的に国が介入する初の
「国家主導型オリンピック」
でした。

当初、ヒトラー総統は
「ユダヤ人が牛耳る祭典に興味はない。」
としてましたが、側近からプロパガンダ(世論の宣伝効果)になると説得され、
「ヒトラーのオリンピック」
が開催されました。
美術家として自他共に「古典派」を認めるアドルフは、ギリシャ以来の
「聖火リレー」

ファイル0423.jpg
を復活させます。
その際、ナチスは国から国へ松明を持って走るルートを詳細に調べ上げ、その地理的優位を大戦に利用した、との逸話もあります。

開催に当たって、ヒトラーはユダヤ人迫害や、人種差別、収容所での規則を一時的に緩やかにすることを宣言します。
この条件により、ギリギリで英米仏も参加してくれました。

開会式は、会場全体で「ナチス式敬礼」が行われる異様な雰囲気でした。

第一次世界大戦で戦禍に見舞われたフランス選手団が入場すると、彼らは同じく
「ナチス式敬礼」をしたのです。

これにより会場のドイツ国民からは拍手喝采!
「平和の祭典に戦争の傷跡は無い」
としてフランスの寛大さを賞賛しました。
が…実はこれ、ナチス式の「右手を斜め前方」に揚げるのと違い、「右手を斜め横に揚げる」オリンピック式敬礼をフランス選手団がやっただけなんですよね(笑)。
まぁフランス選手団は誤解されること百も承知だったと思いますが。

アドルフは積極的に会場に赴き、参加選手に手を振り、授賞選手と固く握手しました。
公務のギリギリまで観戦し、会場を後にする時に黒人メダリストと握手する時間が無かったことを、後年に渡り
「平和の祭典においても内心、ヒトラーの差別主義は変わら無かった」
と非難されますが、同黒人メダリストは
「大会中に何度も手を振られたことは私自身が一番知っている」
と証言しています。

因みにこのベルリンオリンピックで初出場の日本サッカーはスウェーデンに勝ってベスト8入りする「ベルリンの奇跡」を起こして「ヤハーナ(ジャパンのドイツ読み)ハリケーン」
と呼ばれています。水泳200平泳ぎでは葉室選手が金を獲得。何と当時は海軍からの参加でした。
次回、雇用対策です。