キルケゴールは父親の鬱屈な教育と生まれの境遇(父は結婚前に母を妊娠させ自分の兄を産ませた。しかも当時母は屋敷に仕えるメイドだった)ことに心に傷を負っていました。
しかも父ミカエル56歳の時の子供です。
ニーチェは五歳で父を亡くしました。
サルトルも二歳で父を亡くしています。
ハイデッガーは問題なく桶職人の父の下に生まれ、その才能を早いうちから認められ進学しています。
ヤスパースの父は法律家で知事にまでなっています。父とは問題ありませんが、11歳の時に「気管支拡張症」の病気が見つかり、一生を共にする病となります。
どうも実存主義哲学者は父親と縁がないか、幼い時に死の間際の体験をしています。
また、高等師範学校(いわゆる教育学部)に進学したサルトル以外は最初皆、学部は神学部なのです。
哲学部で入学した人はいません。
ヤスパースは更に精神医学と心理学を終えた後で哲学を最終的に選択しています。
共通するのは若いうちから世の中を「わかった様な」態度で過ごした「少年哲学者」では無かったのです。わたくしの様に(笑)。
まぁ私の場合は進学さえしませんでしたが。
だからこそ、学歴の無いアドルフに共通するものを見出すのですが、それはまた後ほど。
本当はサルトルのことを書こうと思ったのですが、ハイデッガーほど難解でなく、スラスラ読めたのに残るものが無かったってのが本音です。
寧ろパートナーのヴォーヴォーワールのフェミニズムの方が興味深いほどでした。
ただひとつ印象に残った言葉が青柳進先生のサルトルの考えを表した
「無から始まり、無に帰ることは『無』そのものではない。」
です。そう、そこには「運動の軌跡」と言うベクトルが確かに存在するからです。
最後に青柳進先生のまとめをそのまま引用します。
「この五人はどんか環境でもくじけず悩みながら、時に論争し、時に他の思想に踏み入り、また離反し、誠実に原点に立ち帰り、自己とは何ぞやを問い返しながら、行き続け、泥まみれに時代を駆け抜けていったのです。
そして運命に従順に死んでいったのです。
死んだ後、我々に哲学と言う宝を残して」
「死が避けれなくなった時、回想だけが残る。
その時にどうか幻影の目録を広げないでくれ。」
byキルケゴール
つまり「どんな走馬灯を見るか?」を前もって教えないでくれってことです。
さすが今を生きた哲学者。