自分が自分に与える価値観 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「私に欠けているのは、

私は何を為すべきかということについて、

私自身に決心がつかないでいることなのだ。

~中略~

私は私の思想の展開を、

私自身の物でないものの上に基礎づけることなく、

私の実存の最も深い根源と繋がる物の上に基礎づけ、

たとえ全世界が崩れ落ちようとも、

それに絡み付いて離れることのない様な物の上に基礎づけることが出来るのだ。」

キルケゴールが22歳の時に傷心旅行で北シェラン地方を訪れた時に書いた手記です。

文壇にデビューしたのが25歳ですのでアマチュアの頃です。

婚約者レギーネとはまだ出会ってませんから、この「傷心」は家族との衝突によるものだと思います。

30代で「あれか、これか」を出版する前に、この時既に彼の原点は完成してたと思います。


大切なのは「為すべきこと」のうち、「何を選択するか」
だと思います。

会社員なら業績を上げ、芸術家なら作品を仕上げ、スポーツ選手なら試合に勝つ。
それは理解してても、
「では、私は私の為に何をすべきか?」
は誰も教えてくれません。
たとえ他者が教えてくれても、選ぶのは自分です。

若い頃に読んだとある成功マニュアルのビジネス本に、

「世の中には『こうすれば成功する』と言ったマニュアル本が溢れ返っているが、それは『筆者よ、貴方だけ』の成功本だ。
世界中どこを探しても『私の成功本』は発売されてない」

と書かれていました。
全くその通りだと思います。
きっと筆者は実存主義者だったんだなと今は思います。

注目すべきは「自己の根源に繋がる物に、自己を基礎づける」

これは
「自分の中に自分の核を作る」
と似ていますが、
キルケゴールは自己の基礎を自分の「外」に求めています。
これは
「世界は歩みだした時に初めて作られる」
に通じてます。

自分の「中と奥」に自分を求めると、残念ながら獲得できるものは極小になるかもしれません。
しかし、自己の基礎を外に求めるながら思想を展開することこそ、
「あれか、これか」
ですね。
何かを選択することで自分が形成されると思います。


難解で申し訳ないです。
でもキルケゴールの原点に触れて私自身は幸せでした。