ムッソリーニは学業優秀な生徒でしたが、ミサをサボったり、暴力事件を起こしたりする問題児でした。
それでもスイスで教師になり、新聞記者にもなっています。
その日暮らしの生活をしてたヒトラーとは大違いです。
そして最大の違いはムッソリーニは軍を率いてローマを占拠し、時の権力者から強引にサインを貰い、国家元首のイスに着いたのです。
ドイツ国民は選挙でナチスに票を入れました。
しかし、ムッソリーニはイタリア国民の支持を得ていませんでした。
ファシズムとは
「団結する」の意味のファッショから来ています。
直接「軍国主義」や「独裁政治」の意味を持っていないのです。
ムッソリーニは積極的な無神論者でした。
「神を信じる者はイエスが必要なのでは無く、精神科医が必要なのだ。」
「キリスト教と社会主義は両立しない。
党員は無神論者でなければ必要ない。」
と過激な発言をしています。
彼を後押ししたのがニーチェの二ヒリズムであることは間違いありません。
しかし、カトリックの本拠地であるイタリアで政権を維持することは大変でした。
ムッソリーニは教皇と表面上は和解して票集めに奔走します。
また、ナチスとも思想的には距離を置いてました。
ユダヤ人の票の為に、アーリア人至上主義を公に批判してます。
それでもヒトラーはムッソリーニのファシズムを手本としてました。
第二次世界大戦でイタリアが敗北するまでは。
党内の反逆者によって失脚したムッソリーニは、ナチスドイツによって秘密に救出され、北イタリアに
「イタリア社会主義共和国」
を無理矢理建国します。
これは勿論、ナチスドイツの傀儡政府でした。
これによりヒトラーとムッソリーニの立場は逆転し、手本としてたイタリアのファシズムはナチスの支配下に置かれたのでした。
そして終戦。
ムッソリーニは銃殺され、遺体は公にさらされました。
そして故人の希望通り、無宗教の埋葬をされました。
ヒトラーは青酸カリを飲み自決し、ガソリンを被りました。
遺体の損傷は激しく、検死したソビエトはヒトラーと判別つかなかったそうです。
以上がヒトラーとムッソリーニを駆け足で対比してみました。
常に悪のエリートだったムッソリーニが銃殺され、
社会の落伍者だったヒトラーが自殺する。
不思議ですね。
私見ではムッソリーニは常に一人ぼっちで、アドルフは集団を操りながら、集団に操られていたと思います。