と言うのが見解です。
何故ならヒトラーが生きた当時のドイツにはカントが立ち上げ、へーゲル

がまとめた
「ドイツ観念論」
が根強く生きていたからです。
ドイツ観念論の特徴は大きく分けて二つあります。
1 「組織は組織の構成員の総計に勝る」
考え様によれば恐ろしい思想です。
社員全員よりも会社、生徒全員よりも学校、国民全てよりも国家が勝るのです。
2 「世界精神」
へーゲルの唱えた世界精神は汎用に使われ、掴み所が無いのですが、簡単に言うと
「万物は、優秀な方が歴史に選ばれる。世界そのものは意志を持ってそのような選択をし続けてきた。」
です。
これも恐ろしい思想です。
過去の歴史の研究家が「歴史は常にベストな選択をする」
と評論するのは勝手ですが、時代の当事者が
「何をやっても自分達は歴史に選ばれる。」
と考えると、危険思想の何ものでもありません。
この二つがへーゲル哲学のドイツ観念論です。
ナチスの100年以上前に活躍したへーゲルとその哲学ですが、後年のナチスの行動理念とあまりに似すぎです。
だから私はいつも思うのです。
「ナチスとドイツ国民の真の主君はアドルフ・ヒトラーではなく、『ドイツ国家』だったんだ」と。
だからこそアドルフ個人は豪奢な生活はせず、常に「強きドイツ」を思う、「ドイツ国家の一番の下僕」
だったのでは?
と思います。
アドルフは国家元首となってからも、親しい者には常々、
「私の職業は芸術家だ。」
と言っていたのです。
それは画家になりきれなかった憧れか?
指導者からの逃避か?
それとも彼には指導者の仕事が芸術だったのか?
「神は死んだ」と指導者が一人が唱えても、案外したたかに党員と国民は「我々が神を選んだ」と思ってたかもしれませんね。
なぜならヒトラーはクーデターでなく、選挙で国民に選ばれたのですから。
明日はムッソリーニとの対比を書きたいです。