解答と民間人ヒトラー | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

こんばんは。
まずは昨日の答え。
ポーランドのお酒ミュト(ミュウト)ピトヌィの原料は

「蜂蜜」です。

蜂蜜ってリスクを伴ってまで甘い物を手に入れた人間の勇気の象徴の様に思います。
お酒は天然の物に人間が手を加えることで完成し、自然界に無い物を作り上げます。
だから蜂蜜酒って
「知恵と勇気の象徴」って感じがします。

で、今日のテーマのヒトラーですが、
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政治は抜きにして、民間人としての半生を中心に掘り下げたいです。

アドルフ・ヒトラーは幼い時から熱心に教会に通い、8歳の時には聖歌隊に入り、聖職者になることを願っていました。

高校は古典を学べるところを希望したのですが、父に反対され、工業高校に入れられます。
このことに反発し、露骨に授業をサボるようになり、退学処分を受けます。

芸術学校に通うことを希望しますが、試験に落ち続けます。
合格どころか予備試験にも墜ち続けます。それもそのはず彼は
「人物デッサンを嫌がる」
と言う美術学生になるには致命的な欠陥がありました。

生活費を稼ぐ為に、彼は芸術家の作品を模写した物を、絵はがきに描いて売る、と言うことを職業としていました。
形はどうあれ、ヒトラーの前職は間違いなく「画家」なのです。

そのうち、「浮浪者収容所」や「独身寄宿舎」を転々とし、祖国オーストリアに強制送還された時には兵隊検査で不合格になってます。
(ヒトラーはオーストリア国籍で、死語の20年前までドイツ国籍を収得してません。)

そして第一次世界大戦でドイツ兵として参加します。
しかし、役割は
「後方伝令兵」
でした。
とても安全な役職ですが、彼は二回受勲してます。
前線に出てないのに受勲してるのは
「上級将校との付き合いのおかげ」
が有力な説です。
しかし、受勲した割りに階級は「伍長」止まりです。
それは「彼に指導力が無いから部下を持つ伍長以上は無い」
が有力な説です。

そして驚くべきことに彼は

「敵国のガス攻撃で一時的に失明する」
と言う悲劇にあってます。
ナチス=毒ガスと言うイメージがありますが、第一次世界大戦においてはドイツは毒ガスの被害を受けてます。
この経験がアウシュビッツのガス室になったのか?

しかし、彼の失明は戦場による恐怖からの発作との説もあります。

以上、何かと表社会で中々成功しないヒトラーでした。