以下は2012年6月の記事です。
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キルケゴールの著書「死に至る病」の中では人生には、生きている限り3つのつまずきがあると説いてます。
1 愛によるつまずき
2 他者の評価によるつまずき
3 信仰によるつまずき
です。
人間だからこそつまずき、悩み、苦しみます。
そんな時にイエスは具現化して神の啓示を述べます。
1 「愛に悩むのは汝が神では無く、人間である証拠である。
我は愛そのものである。我につまずかない者は幸いである。」
2 「人の評価と神の評価は全くの別物である。我は賞賛そのものである。
我につまずかない者は幸いである。」
3 「我と父(神)は一(いち)である。我につまずかない者は幸いである。」
以上がキルケゴールの著作の中に現れたイエス=キリストです。
注目すべきは
「我につまずかない者は幸いである。」
の一文です。
悩み、苦しんだ先にこそ幸せはあるかもしれません。
しかし、キルケゴールは最初からつまずかない者を幸せ者と述べてます。
これは信仰を持たない自然的人間や、異教徒に寛容なことを表現していますが、人生そのものにつまずきを持たない「超越」的な人間を認めていることになります。
わたくしはキリスト教徒ではありません。
そして上記3つにつまずき続けている人間です(笑)。
そしてつまずかない人間を羨ましくも思うし、寂しいとも思います。
イエスが具現化することは無いと思いますが、人生のつまずきは確かにこの3つに集約されるなとは思います。
特筆すべきは個人の能力や財産については触れてないことです。
「そんなのはつまずきなんかでは無い」とキルケゴールが言ってくれるように思えます。
最後にもう一度。
人生には
1 愛
2 他者(社会)の評価
3 信仰(神ではありません。宗教でもありません。『信仰』です。)
以上3つのつまずきがあるとのことです。
ゲスト様。難解な著作の解釈にお付き合いありがとうございました。
読んで下さる方のおかげで解読が進みます。
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はい、まだ鼻っ柱の強い私は、ブロ友さんのコメントにより、思想や智恵による事前回避の大切さを知りました。
本多平八郎忠勝は「戦に向かうこと五十余度。未だに傷を被りしことはなし」
と、かすり傷ひとつ負わなかった戦国最強武将(の一人)です。
またイエスは自分に同調しない者にも寛容であったことをキルケゴールはここで主張しています。