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高校の国語の教科書で習った、中島敦の「山月記」ほど自惚れる若きわたくしを矯正してくれたものはない。
物語はこうだ。
古代中国、山に虎が出没するので、ある官吏が討伐に当たった。
官吏は虎を追い詰めたが、何とその虎は人の言葉を解するかつての同僚だった。
虎は官吏に語りだした。
宮使いの身になったものの、自分は詩人になる夢を捨てきれず…発狂した。
叫びながら山を駆けるうちに四つん這いになり、姿は虎になった。
そして人を襲わずにはいられなくなってしまった。
だが、完全に人の心を失ったわけでは無い。
その証拠に今、この姿でも詩を暗唱して見せよう。と、虎は自作の詩を唱え始めた。
官吏は思った。
成る程、美しい詩だ。しかし、何かが物足りない。ひとかどの詩人と比較すると何かが欠けている。
虎もその様子を察して語りだした。
自分の詩が物足りないことは知ってる。それは私の「臆病な自尊心」故だ。
私は誰かに師事することもなく、だからと言って独学の詩を発表する勇気もなかった。
しかし、心では誰かの弟子になり、地道な努力をしている者を見下していた。
その心こそが虎だったのだ。
才能がある者よりも、才能が無くても努力を積み重ねた者の詩の方が遥かに美しいことを、私は知っていながら思い知るのが怖かった。
それが「臆病な自尊心」なのだ。
嗚呼、どうせなら完全に虎になってしまった方が何も苦しむことは無いのに…。
だが私に人の心がある内に旧友のお前に頼みがある。
それは残してきた家族のことだ。
本当なら詩よりも先にこの事を願い出るべきなのに…。
官吏は快諾した。
それに安堵した虎は
さあ、早く逃げよ、私に人の心が残ってる内に、かつての旧友を手にかけたくない。
人の心がある時間は日に日に短くなって行くのだ。
そして虎は月明かりの山深くに消えて行った。
これが山月記の全容です。
才能無き者を見下しながら自分の真価を世に問わない
「臆病な自尊心」
高校生の私には衝撃でした。
塾も習い事もしたことが無くて、少しやっただけである程度のことが出来てしまってた私に「努力」と言う言葉を教えてくれた書物でした。

貴方の心に虎はいますか?
私は才能無くても泥にまみれる大切さをこの本から教わりました。
ではまた明日。