少年哲学者と教育 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「読み書きは母から学んだ。
知識は本屋から金で買った。
教師から学んだのは無用な本を買うなと言う程度だ。」
by SPA-k

こんばんは。
とにかく人付き合いが苦手なわたくしです。

皆様は小学生と言えば凄く子供の様に思えるでしょう。
しかし、教師がしてきたのは
「大人になれ」
と促すだけでした。
六年生は
「その程度じゃあ五年生だ。とても中学生になれない」
と言われ続け、
一年半は
「こんなことも出来ないなら幼稚園に戻れ」
と無責任に言われ続けました。

「大人になれ」とは言われましたが
「あなたはあなた自身になりなさい」
とは誰も教えてくれませんでした。

全ては「比較」と「競争」から焚き付けられた強迫観念の様に思っていました。
幼き私にとって学校は正に監獄でした。
学年が変わりクラスが変わることは
「違うオリに入るだけ」
としか認識してませんでした。

最も鬱屈してた五年生くらいに考えた箴言です。

「自由とは何か?
囚人の足枷の鎖が延びることさ。」

なんて考えてました(笑)。
あ~嫌な小学生(笑)。
哲学の目覚めは11才の秋くらいだったので、そのころは人生を一つの言葉でまとめるのに必死になってました(笑)。
世界を定義出来ると信じてましたから(笑)。
学校の勉強そっちのけでそんなことばかり思考してる私に母はいつも寛大でした。
母は繰り返し私に言いました。

「私が本当にあんたを怒る時は、あんたがテストで99点を取った時だけよ。」

と。
「出来る能力があるなら必ずやり遂げなさい。」
と言うメッセージがそこにはありました。

そんな母の教育のおかげで無事に小学校を卒業し、中学からは柔道一筋でした。
実力主義の世界でも心に刻みこんだ言葉は
「勝つことにより、
負けることを知り、
進むことにより、
退くことを知らないと男じゃない」

この言葉を繰り返して頑張り抜きました。

ゲスト様、
今日は幼き日のわたくしとのお付き合いありがとうございました。
もしも読者様の中で子育て中の方がいましたら、
どうか学校の勉強だけで頭の良し悪しを決めつけないで下さいね。
私みたいに勉強できなくてもそれなりの大人になれますので(笑)。

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「読書とは言葉を交わせない人から学ぶ唯一の方法」
デカルト