カント1 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

こんにちは。
ソフィーの世界を読んでて、一回目も二回目もカント
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で挫折しました。
とにかく難解なんです(涙)。
ソフィーの世界を繰り返し読んでも理解できなかったのでWikipediaに頼りました。

そこから理解できた順にUPしていきたいです。

「哲学スタイル」

大陸合理主義とイギリス経験主義の両方を取り入れ、両方を否定したとあります。

経験主義とは
「感覚、感性を重視し、目や耳の感覚器官を通して実感した物によって世界は成立している」
と言う考えと解釈しました。
アリストテレスの「経験に先立つイデアは無い」
の考えに一致します。
「知らないことは語れない、永遠普遍な物は過去の経験から作り出しているに過ぎない」
と言うスタイルです。

他方、合理主義は理性を重視して、知恵を絞って可能な限りの「絶対」を定義することと解釈しました。

経験主義者はロック、ヒューム、バークリ。
合理主義者はデカルト、スピノザ、ライプニッツが該当します。

で、カントがどう二つを取り入れたと言うと、

世界の捉え方としては、カントは経験主義者と同じで、
「世界は自分が見ている世界で成立している」
が始まりでした。
しかし、そこにカントは
「人間は物事を捉える時には必ず『時間と空間』と言う制約受ける」
と言うことを付加したのでした。

「同じ物事でも時と場所により、人間は違った認識をする。
人間は必ず時間と空間と言うフィルターを通して、物事を見たり、聞いたり、考えたりしている。
と言うことです。

「自由に、ありのままに世界を見ているつもりでも、それは時間と空間によって既に加工された情報」
と言うことなんですね。
カントの理論によれば、神さま以上に人間にとって「時間と空間」は絶対者と定義できるかもしれません。
つまり「時間と空間は経験よりも強く前に存在する」と言う点ではカントは合理主義に近いのです。
近代は感覚と理性のせめぎあい、と言えるでしょう。
そこで理性=推論と置き換えて下さいませ。Wikipediaにそう書いてました。

そこで私は感覚による経験主義を「芸術的な絵画」

理性による合理主義を「製図」
と解釈しました。
この世を説明する絵です。絵画は描く人、見る人それぞれで、製図は共通で絶対だが感動はしないと言えるでしょう。
暫くカントが続きます。