心の存在証明 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

どれだけの哲学者が、どれほどの時間を費やしたことでしょう。

しかし、21世紀になっても、
「これが心です。」
と証明することは出来ません。

心、魂、精神。
言葉は違えども、誰も見ることが出来なくて、私達の人生を支配してきたもの。

プラトンは、万物不変の「永遠の型」がこの世から離れた「イデア界」に存在すると「イデア論」
を唱えました。

アリストテレスはイデア論を批判しました。
「大自然の中にこそ真実はあり、普遍のイデアは人間の心が経験から作り出したもの。最初から知らない物を描くことは不可能」
と言いました。

デカルトは心と身体を切り離して考えました。
「心身二元論」と呼ばれています。

スピノザは一元論者です。
「全ては大自然の法則で、私達の思考も自然の法則から成り立つ必然だ。」
と述べています。

しかし、未だに誰も
「これが心です。」
と証明できてません。

何故ならこの世の中の生命、物質、感覚、存在全てが

「貴方の心で見ている世界だからです。」

世の中はまず最初に「自分」が存在しているのです。

それが感覚器官を通して感情と思考が沸きあがり、記憶として保存されるのです。

「この世は自分が創り出した世界」
by SPA-k

美しい陶器を見て、美しいと感じるのも自分。
割れた陶器を見て悲しむのも、破片で痛みを感じるのも自分。
陶器はテーブルでなく、己の心に存在します。

キルケゴールは
「他人が存在していることなど、ただの知識にしか過ぎない」
とまで述べています。
自分が主体的に見ている世界だからこそ、感情と思考により何を選択するかが重要になります。

そして何を選択するかによって見えてくる世界が変わります。