アリストテレスの国家観 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
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こんばんは。
結論から言ってアリストテレスは理想的な国家の「形」についてはこだわっていません。
前回のblogに書いたように、大切なのは「中庸」「バランス」と説いてます。

アリストテレスは国家の形態が君主制であれ、貴族制であれ、民主制でもそれぞれの良さと悪さがあると言っています。

君主制は
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専制政治になりやすく、一個人の私物化的な政治に陥る危険がある。
貴族政治は
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一部の特権階級が牛耳ることを避けなければならないと言っています。

そして大切なのは民主制の問題点です。
ソフィーの世界においてアリストテレスは、
「民主制は衆愚政治になりやすい」
と言っています。

衆愚政治。
つまり国民全てが安易な流れに考えもなしに流される危険があると言うことです。
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ナチスは何も軍事クーデターで政権を略奪したのではありません。
正式な選挙で第一党となったのです。

アドルフ・ヒトラーは演説の名人でもありました。
ドイツには敗戦の傷みから立ち上がる希望の光が必要だったのです。
そしてアドルフが利用したのはマスメディアです。
当時では最先端のテクノロジーのテレビを使い演説したのです。

繰り返し流れる映像に国民が心酔(浸水)して行くのは自然かと思います。

大切なのは二度言います。
ナチスは選挙で第一党になったのです。

わたしは政治家の振る舞いが虚飾か虚栄かを見抜くのは国民の義務と考えます。
芸人とマスメディアの専横、官僚の怠慢を防げるのは政治家ではありません。
一個人の政治哲学です。

反対するのは簡単でしょう。
しかし、国民一人一人の国家観無くして理想国家は成立しないと考えます。

法律、税、福祉、外交、軍事。
問題は山積みですが、国民一人一人が突然マイクを向けられても、感情的不平不満でなく、国家観を持った演説を出来ることが理想かと考えます。

バランスが取れていれば君主政治も良いかもしれません。