アリストテレスの幸福論 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

こんばんは。
ソフィーの世界より、アリストテレスの考える幸福論について今日は書きたいと思います。

アリストテレスは何よりも「中庸」即ち物事のバランスを重要視しました。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」
とはアリストテレスが言ったのかもしれません。

移り変わり、流れゆく大自然を研究したアリストテレスはやはり
「この世に絶対は無い」
と考えてたのかもしれませんね。

そのアリストテレスのバランスを重要視した幸福論とは?

まず幸せの形には三種類あると考えてたのでした。

1 快楽と満足に生きる

2 自由と責任に生きる

3 科学者として哲学者と生きる

の三種類です。

この3つ全て組み合わさったとき、幸せに生きられる、とアリストテレスは説いてます。

飽食、娯楽、情報過多の時代に、快楽と自由はもう十分でしょう。

多くの若者も、少ない給料で責任を背負わされて一生懸命働いてます。

次々に生みだされるテクノロジーは若者の瞳の輝きの産物とわたくしは考えます。
恒久的満足が得られなくとも、刹那的満足に事を欠く時代ではないでしょう。


だけどしかし、たったひとつ欠けてるのが「哲学」です。

時代が哲学を拒絶しているとしか、わたしには思えません。
あなたの眼前に広がる光景から、何気ない幸せを見つけたければ、
「この世の中に当たり前などない」
と言うスタンスでどうか哲学的思想を心がけてください。

あなた自身で「幸せではない」と感じる何かがあったとしたら、あなた自身の「快楽」と「自由」に少しだけ「意味」と「価値」を見出して下さいませ。

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画像の映画「ホームアローン」のケビン少年には
「快楽」「満足」「自由」「責任」「科学者」「哲学者」
全てがバランス良く備わっていたように思います。

明日はアリストテレスの国家観を書きたいです。