ソフィーの世界より、
「プラトンは理性だけを用いた。
アリストテレスは感覚も用いた。」
とあります。
弟子のアリストテレスは師匠プラトンのイデア論に反論します。
アリストテレスは大自然の中にこそ永遠普遍の世界が存在すると考えました。
アリストテレスの父は医者であった。
そしてアリストテレス自身、哲学者であり科学者でした。
魚や蛙を研究することで不変の世界にたどり着こうとしたのです。
大自然に触れるとは、五感を解放すること。即ち感覚を信じると言うことです。
師匠プラトンはあまりに頭のなかだけで考えすぎました。
自らが描くイデア世界に執着し過ぎたとも言えるでしょう。
現実世界を超越した世界は後にキリスト教の「楽園思想」に用いられます。
弟子のアリストテレスの業績も後にキリスト教に多大な影響を与えています。
なんとアリストテレスは「天動説」を唱えたのです。
そしてキリスト教社会では何千年もこのアリストテレスの考えを無批判に信仰したのです。
おかげでコぺルニクスもガリレイも、古臭い連中が行う宗教裁判に苦しめられることになったのです。
そう、アリストテレスは天才すぎたのです。
そして教会は布教と教義の為に巧みにアリストテレスの叡知を利用したとしか考えられません。
それはまるでプラトンやアリストテレスの功績さえもイエスの手柄であるかのように!
しかし、二人がヨーロッパ及び世界中に哲学を広めた功績は揺るぎない事実です。