日本に限らず世の中は間違いなく、「理系重視」です。
統計によると、理系大学卒業した人と文系を卒業した人とでは生涯に稼ぐ額にかなり開きがあるそうです。
しかし、私はこの「理系」、「文系」の分け方に疑問を持ちます。
論文を書くことはどの分野も同じです。
知らないことを詰め込む「記憶系」は「社会」と「理科」に共通します。
何回な数式や定理、には論理学が入り弁護士の討論みたいです。
何が言いたいかと言うと「理系」の「理」 に対立するのは文系ではない。と言うことです。
「理」とはそもそも理性、即ち「知恵」と言う意味です。
では知恵の対立とは?
わたくしは「芸術」と考えます。
理性は知恵、感覚は芸術を育てると思います。
「記憶する」とは知識を知恵に変える為の手段であり、本来の学問ではありません。
大切なのはそれは「何か?」ではなく「何故?」だと思います。
文学や歴史に芸術を感じることはあるでしょう。生命の神秘、大宇宙の法則にも芸術を感じるでしょう。
しかし、単語や数式、法則とはただの知恵の道具であり芸術は感じないでしょう。
そう、知恵の対極は「美」なのかもしれません。
どちらが欠けてもいけません。
より良く生きる人間には知恵と美学が必要なのです。
私達は幸運にも先人達の過ちを知っています。
知恵のみを必要とした国家のたどった行く末を。
そう

そう、ナチスです。
「国家は国民の集合よりも勝る」と言った

ドイツ人哲学者ヘーゲルの考えをナチスは受け継いでいるのです。
ヘーゲルの哲学はとことん、生産性と機能性のみを追求した人間軽視な大陸合理主義と呼ばれるものでした。
そしてヘーゲルの哲学は
「歴史そのものに意志がある」
「歴史に人間が選ばれる」
と言った極端な物になっていきました。全体的なこの意志を「世界精神」と呼びました。
その世界精神に長髪と大衆的な詩で反抗したのが「ロマン派」と呼ばれる人達です。
彼らは自由を求め人間の夢は無限大だと訴えました。
しかし、キルケゴールに言わせれば彼らも「画一化」なのです。
「真の反抗とは『個』であり、主観的、主体的に生きることである。」と無責任な享楽を痛烈に批判しました。
「『理』の対極は『美』。美の根源は『徳』」SPA-k