「美」の存在~キルケゴールとサバンナ | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

わたくしは問いかけます。
「何故、美は存在するのか?」

勿論、考えて結論が出るはずありません。
ただ、自分自身とゲスト様の豊かな人生の為に、同じ物を見ても違う感覚を持ってほしいと思い、書かせていただきます。

世の中が効率と機能美性と生産性だけを重視した世の中ならば、「美」などは存在してなかったでしょう。

誰もがジャージや軍服を着て生活してる方が機能的でしょう。
「オシャレは我慢から」と言う言葉があります。
機能性だけを重視するなら「ウェディングドレス」等は重くて動き辛いだけです。
では何故この世の中からなくならないか?
それはウェディングドレスは「美しい」からです。

ある程度大脳が発達した生命体は「本能的に美を追求する力が備わっている」とわたしは考えます。
敢えて「人間は」と言いません。

そしてもし、美に生産性と機能性が重視されたら、この世には絵画などたった一種類しか存在しなくなるでしょう。

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サンピエトロ大聖堂に飾られたルーベンスの
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この絵画など、誰が見ても美しいと思いますが、それでも美は一種類で定義出来ません。感じる個人差があって当然なのです。
ライオン
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にとってオスの価値とは勿論、強いことです。
しかし、孔雀
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にとってオスの価値とは美しいことなのです。
美は子孫繁栄の本能により、自然に求められるのでしょうか?

デンマークの哲学者キルケゴールは言います。

最初は「美的実存」。享楽に生き、その場限りの楽しみを求めらる。しかし、美を求めても人は欲を捨て去り切れない為に
次に「倫理的実存」に生きるようになる。道徳的美しさは人間にとってかけがえのない美であるが、人間は結局、神のように振る舞えない。
最後の段階として、ただ唯一神をただ信仰する「宗教的実存」にたどり着く。と説いてます。

結論 人間の強さとは機能性と生産性であるが、人間の美とは
「より楽しく隣人と生きる為の本能的な欲求」by SPA-k

そしてこの言葉さえもそれ以上に美しい言葉により絶対ではない。

明日は「理系編重とロマン主義」を書きたいです。