哲学の誕生~文字と神話 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

「月にうさぎはいない」

「雷はゼウスの怒りではない」

ことくらいは皆様知っています。

しかし、昔の人は信じてました。
その違いとは?
今日もソフィーの世界からの引用です。
昔の人はわからないことを神話にあてはめていました。

「やまびこが鳴るのは女神『エコー』が声を無くしたからだ」とか言うやつです。
他にも、水面に映る自分の顔に見とれて湖に落ちた「ナルシッソス」とか沢山あります。

昔の人はわからない、不条理なことを神話で片付けていました。人智の及ばないことは神様の仕業にしていたのです。

神話は人間にわけのわからないことを説明してくれるのです。
しかし、ギリシャのホメロスとヘシオドスによって、神話が文字に写され編纂されると、
人は神話について議論ができるようになったのです。

古代ギリシャの賢者達は話し合いました。
「神話の神々は自分中心で不道徳だ。まるで人間のようだ。」
と。
ここで人類史上初めて、「神話は人間が作りだしたものでは?」
と疑いを持ったのです。
そしてこれがギリシャ及び人類初の哲学のはじまりなのです。
とここまでがソフィーの世界の引用です。
そう、哲学は疑うことと、否定から始まったのです。

そしてそこから科学や医学が発達しました。
しかし、本当に「否定と疑い」だけで人類は発達するのでしょうか?
わたしはそうは思いません。なぜならば「否定と疑い」から知恵が生まれたのならば、
「美」は何故あるのでしょうか?
効率的な機能美だけならば何故、生命は芸術を求めるのでしょう?

続きは明日の
「キルケゴール~実存の三段階」で触れたいです。