医者に決められた薬を飲まなくなって一週間、すこぶる体調は良好です。
鬱に対して速攻性はあるものの、依存性が強い「デパス」を止めて一週間になります。
また、セロトニンを効果的に分泌して落ち着きを与えてくれる「ルボックス」は半分になりました。
快楽物質ドーパミンを分泌してくれる「エピリファイ」も止めました。
昼間の眠気も倦怠感ともおさらば出来たかもです。
問題は山積みかも知れません。
この後、身体にどんな反動が来るか知れません。
このまま止めれないかも知れません。
ですが二年間の治療で必ず何かの反作用と共にいたのも事実です。
「もういいだろ」って気持ちです。
医者は私が苦しみを訴えれば薬を増やすだけです。
一日の問診で薬を増やしますが、通常の減薬には一年かかります。
もう十分です。
自分の身体は自分が一番良く知っているはず。
土曜日の定期診断では「決められた通り服薬して順調です」
と言うつもりです。
そしてまた山積みされた薬を飲まないつもりです。
「社会の不安を薬の不安に置き換えるだけなら二年も遊べば十分です。」
もう社会との闘い方は十分に薬が教えてくれました。
問診だけで鬱と宣告されたなら、全快の宣告も問診だけです。
ならば、もう十分です。
今現在、わたくしは元気です!
どうなるかは知りません。
でも最後は自分で決めたい。
わたしは薬を止める。
治ったことにしてしまおう。
今現在、元気なんだから。
苦しくなった時にまた考えます。
だからもう健常者でいさせてくれ。
わたしは元気です!
社会による不眠を薬による不眠に置き換えるだけならもう十分です。
どちらとも戦う覚悟は出来たから。
明日からは…健康な人間のはず。
ルボックスよ、もう少し付き合ってくれ。
きっと梅雨に入るまで。
自分のことは自分が一番良く知っている。
来年のわたしよ。
このblogを読み直して、どうか鼻で笑ってくれ。