新しい読者様にも特に読んでほしい記事です。
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親鸞は言います。
「己の煩悩(ぼんのう)を満足させる為に、自らの『外』に絶対者を作り、その絶対者を崇め、祀る。その行為を突き進む『道』をこれ即ち『外道』と言う」
もうお分かりですね?
自分の欲望の為に神様に祈りを捧げる行為が「外道」なのです。
「願いを叶えて欲しいから敬う」
では願いが無くなれば?
「困った時の神頼み」
困ってなかったら?
そう、いつしか「神様の為」は「神様のせい」にしてしまってるのですね。
幸福を自らの「内」に求めず、神様を自らの外に求めると、神様は途端に「鬼」になります。
もうお分かりですね。
「鬼は外、福は内」
です。
福は内はいつしか、
「外部から呼び込む」と言う商業的スタイルが蔓延してしまいました。
本当は鬼=隠(おん)と言う隠れた醜い心です。
隠を外に追いやり、自らの幸福を体内より呼び覚ますことが
「鬼は外、福は内」なのです。

こんなイメージで、祈るだけなら猫でも出来ます。
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こんな時だからこそ、愛は愛を呼ぶことを信じるのみです。
ありがとうございました。