再掲載:親鸞が提唱する外道論 | 最後の哲学者~SPA-kの不毛なる挑戦

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このブログは、私SPA-kが傾倒するギリシャ哲学によって、人生観と歴史観を独断で斬って行く哲学日誌です。
あなたの今日が価値ある一日でありますように

以下の記事は2012年3月29日の記事の再掲載です。
新しい読者様にも特に読んでほしい記事です。
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親鸞は言います。

「己の煩悩(ぼんのう)を満足させる為に、自らの『外』に絶対者を作り、その絶対者を崇め、祀る。その行為を突き進む『道』をこれ即ち『外道』と言う」

もうお分かりですね?
自分の欲望の為に神様に祈りを捧げる行為が「外道」なのです。

「願いを叶えて欲しいから敬う」
では願いが無くなれば?

「困った時の神頼み」
困ってなかったら?

そう、いつしか「神様の為」は「神様のせい」にしてしまってるのですね。


幸福を自らの「内」に求めず、神様を自らの外に求めると、神様は途端に「鬼」になります。

もうお分かりですね。
「鬼は外、福は内」
です。
福は内はいつしか、
「外部から呼び込む」と言う商業的スタイルが蔓延してしまいました。

本当は鬼=隠(おん)と言う隠れた醜い心です。
隠を外に追いやり、自らの幸福を体内より呼び覚ますことが
「鬼は外、福は内」なのです。


ファイル0235.jpg
こんなイメージで、祈るだけなら猫でも出来ます。
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こんな時だからこそ、愛は愛を呼ぶことを信じるのみです。

ありがとうございました。