今日は往復80kmの応援帰りなので、原書進まんまの引用で失礼します。
親鸞はなぜ念仏が往生の道であるかは一切語らず
「弥陀に救けられまいらすべしと、よきひと(法然)の仰せをこうむりて、信ずるほかに別の仔細なきなり」
と断言してます。
「私は私の為に阿弥陀如来に念仏するのであり、あとは法然師匠のおっしゃることを信ずるほかにない」
と言うスタイルです。
また念仏が浄土に生まれる種か、地獄におちる業かは
「総じてもって存知せざるなり」と断言してます。
正にキルケゴールの
「あなたはあなただけの真理を主体的に見つけなさい。」
と言ってる通りだと思います。
ただ、個人的には法然―親鸞の関係は、
ソクラテス―プラトンよりも、
教義をしっかり軸としている
プラトン―アリストテレスに近いかと感じました。