他者の内面から湧き出る物を間接的に手助けすることしか出来ない。
と述べてます。
また親鸞は
「ひとえに弥陀の御もようしにあずかって、念仏もうしそうろうひとを、わが弟子ともうすこと、きわめたる荒涼のことなり」
と述べてます。
念仏を唱えることこそ最大の救済と考えた親鸞は、
「誰かが念仏を唱えようと言う身になったのは、ひとえに仏の加護からたまわった信心であり、人と人との伝達で成り立つものでない。と言う立場をとりました。
またキルケゴールは直線的に真理が伝達すれば、他人を神様の使徒とするのではなく、自分の下僕にすることだと述べてます。
親鸞は一貫して教化者であることを生涯否定しました。
キルケゴールも批判者の立場を貫きました。
それは真理は自分達自身が内面から見つけることの立場をとったからです。

君が導いた真理は君だけのもの。