「私は、あなたがたを目覚めさせるのに、各人一人ひとりに、どこへでもついて行って、膝を交えて終日説得したり、非難したりするのを少しもやめない者なのです。」
真理とは主体性であり、全員を並べて客観的に講義できるものではありません。
個人が個人の真理に導くことが出来るのなら、ソクラテスは「一人のために」尽力したと言うことです。
生涯「教師」ではなかったソクラテスこそ、最も教師らしかったと思います。
それは弟子を持たなかった親鸞に通じます。
明日からは親鸞に於けるキルケゴールとの共通点を述べて行きたいです。

どこまでも寄り添うことを止まないソクラテスの姿勢です。