「人間は単独の人間を思うことは出来ない。」
これは人が誰かの事を考える時に、完全に「個人」を思う事は不可能だと言う意味です。
そこには「人間そのもの」と言う枠組み、即ち漠然とした群像で、その誰かを思うからです。
これは人間が他人の心を読むことが出来ない事が証拠となります。
心が読めないからこそ、人間には思いやりや、愛情、またウソや嫉妬が発生してしまいます。
この世は自分が見たいように見ている世界です。
乱暴に言えば、相手さんのやりたいようにやった愛情と、自分の自由でやった愛情がマッチングしてるだけなのです。
正に、「愛し合うとはお互いに片想いをしてること」
です。
ここでアリストテレスの言葉です。
「人間は人間一人分の真実しか持ち合わせていない。」
です。
相手の心が読めないからこそ、「自分だけの真実」と向き合うしかないのです。
ここでキルケゴールの言葉です。
「全ての人間の意識、思索を合わせたものが神である。」
です。
これは「全ての人間と心が完全に通い合えば神に通じる」と言う意味です。
しかし、キリスト教はこれを
「烏合の大衆の人間達の意見=神」
としてしまったのです。
近世の数の論理、大衆の圧力のはじまりです。
「人生を懸けて救える人間なんて一人か二人。」なんて言葉の通りですね。

この子達の愛は自分達だけの愛。
一人から愛されることは、神に愛されるよりも難しい。
by SPA-k